ひだまりの中で

日々のできごと。

再び戦火に見舞われたパレスチナ難民

このブログの概要に「このブログには暗い話題はありません」と書いたばかりなのに、数日も経たないうちに概要を書き直さなければならなくなった。
今朝、こんなメールが届いたから。

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再び戦火に見舞われた
パレスチナ難民への緊急支援にご協力ください。

        パレスチナ子どものキャンペーン

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レバノン北部のナハルエルバレド難民キャンプでは、5月20日に
勃発したレバノン軍と「ファタハイスラム」という武装グループ
との交戦によって、キャンプの住民の3分の2から半分の人々が着
の身着のままで、近くのバダウィ難民キャンプに避難をしています。

以下にご紹介するそのバダウィからのレポートは、突然の戦火に
襲われた人たちの様子を伝えてくれます。
そして、一刻も早い緊急支援の必要性を訴えています。

--------------<バダウィからのレポート>-------------------

●5月25日
  バダウィには津波のように人が押し寄せている。避難して来た
 人々、老若男女が住民の間に少しでも居場所を探そうと押し合い
 圧し合いしている。
 パレスチナ難民の古くて新しい悲劇が、再び次の世代に引き継が
 れた。被害と痛みから自由なものはいない。
 これは私たちパレスチナ人の文化遺産とも言うべき唯一の相続
 財産なのだろう。
 一息をついて計画を考えたり、将来への展望をたてようとする
 間もなく、わが同胞は家を追われ、破壊、死、欠損・・・祖国を
 持たない私たちの子どもは平和につつましく生きることさえ
 かなわないのだ。

●病院で
  難民キャンプの赤新月社の病院で、13歳のアラは負傷した
 兄の横に座っていた。13歳といえば他の場所ではほんの子ども、
 楽しいことを満喫しているというのに、パレスチナの子どもは
 大人でさえ負いかねる責任を背負わされている。
 砲撃が始まり家に砲弾が当たったときに、アラは食べ物ではなく
 怪我をした兄をどうしようと考えなければならなかった。
 兄を担ぐことは出来ないので、赤新月の救急車まで引きずって
 行ったのだ。

 「幸運にも僕たちは助かったよ。
  でも家は誰が直してくれるのだろう?」

 と無心に言うアラはまるで家族のことを心配する父親のようだった。

  10歳のユセフはベッドに横たわっている。その美しい目は涙で
 いっぱいだった。傷が痛むからではない。父親から怪我をしていた
 母親が息を引き取ったと聞かされたからだ。
 ユセフは父親を硬く抱きしめると、驚いたことには成人のように
 父親を慰めた。

 「お父さん泣いては駄目だよ。神様の思し召しだから。
  人は誰も死ぬ定めにあって、僕たちにはどうにもならないんだ」

●国連の診療所で
  マリアムの場合は少し違っている。
 70歳の彼女は慢性の疾患にかかっていて、薬はとても高価だ。
 家から急いで避難したので、その薬を置いてきてしまった。
 国連の診療所の前で、彼女は助けを乞うていた。みな彼女の病気を
 分かっていたが、薬はそこに無かった。彼女は待つしかない。
 しかし死は待ってくれるのだろうか?老いたマリアムは外に出て、
 人が尊厳と人間性を失わされる日を呪っていた。

  同じ診療所で、ジェナは両手いっぱいの薬を大事そうに抱えてい
 た。彼女の3人の子どもはひどい下痢になっていて、衛生状態の悪
 さから悪性の細菌にかかったのではないかと彼女は心配していた。
 子どもを残して行方のわからない他の家族を探すことなんて出来や
 しない。隣人のファドワもジェナを助けてやることは出来ない。
 ファドワもまた障碍のある親戚を探し回っていたからだ。

●学校で
  学校は「最後の審判」の日のようにたくさんの人々でいっぱい
 だった。わがパレスチナ同胞にとっての審判は常に不公平に出来て
 いるように思える。犠牲者であるにもかかわらず常に代価を支払わ
 なければならず、常に手ひどいレッテルを貼られるのはパレスチナ
 人なのだ。

  10歳のシャディアは、「ファタハイスラム」について何も
 知らないし、なぜ軍隊がキャンプを砲撃しているのか理解できない。
 彼女が望んだのは一切れのパンだったが、食料を積んだトラックが
 キャンプに入ったとたんに標的にされ、多くの人々が殺され負傷し
 てからというもの、パンも食料も憎しみの対象になっている。

 「私がいま望むのはシャワーを浴びて、汚れた服を変えることよ」

 5人の子どもに1枚のマットレス。ミルクもオムツも足りない。
 国連は動き出しているが大変にのろいと人々は不平を言っている。
 新しい世代も1948年を再体験しているようだ。
 ナハルエルバレドに戻ろうと考えている家族さえいた。
 一口の食料を乞うくらいなら。尊厳の中に死にたいというのである。

 わが同胞はシェルターからシェルターへ逃げ惑う生活に疲れきって
 いる。59年間の逃亡生活と、国連など救援組織へ山のような申請
 書を書き、調査やアンケートの対象として質問攻めにあう生活に
 飽き飽きしている。
 国際社会の署名運動と口先だけのパレスチナ国家建設の約束と、
 多くの圧倒的に多数で決まった決議が決して実現されないことに
 うんざりしているのだ。