ジムへ行く前の午後1時と、運動を終えたあとの3時半に病院へ行った。
意識があるのかないのか、父はぐうぐう寝息をたてて眠っている。
看護師さんの呼びかけには反応するけど、私が呼んでも無反応。
ベッドの柵を握っている父の手を触ってみる。
冷たい。
看護師さんがひげそりを持ってきてください、というので、家にあったものを持っていった。すると、電気カミソリの方がいいでしょう、という。
確かに、髭を剃るとき石鹸やシェービングクリームを使うと、洗面器もいるしタオルもいる。
自分が使ったことがないからそこまで気が付かなかった。
実家に父が使っていたものがあるはずなので取りに行く。
ちょうど兄がいたので、ひげ剃りの在り処を尋ねたがわからないという。
一緒に暮らしていても、日常の生活の細々としたあれこれを、いちいち把握しているわけではないのだ。それはそうだろうとおもう。
兄が、時間があるならコーヒーを飲んでいけという。
コーヒーを飲みながら、子供の頃のよもやま話をする。
三人姉兄の末っ子であるわたしは父から疎まれていたらしい。
長女の姉と長男の兄に対しては普通に接していたけど、なぜか父は私に冷たく当たっていた。
長女とは5歳の年の差があり、兄とは1歳違いの年子である。
最初に生まれた女の子と、跡継ぎとして生まれたの男の子。
そのあとに生まれた私は、いわば鬼っ子なのだ。
父から可愛がられた記憶はまったくない。
それどころか、ビービーとよく泣く私を父は怒ってばかりいた。
私の記憶にはなかったが、そのことは兄と姉から聞かされて知った。
確かに私はビービーとよく泣いた。
泣いては叩かれ、叩かれては泣いた。
兄にいじめられて泣いた。
でもまあ、そんなことは誰にでもあることだから、と恨みもせずに今日まで生きてきたのだが、一つだけ、どうしても納得できないことがある。
それは自分につけられた名前。
姉と兄の名前は漢字なのに。なぜか私だけカタカナなのだ。
いつだったか父から聞いたことがある。
出生届を役所へ出すとき、漢字で届けをだそうとしたけど、当用漢字にない字だったの受理されなかったと。
それなら、敦子でなくても淳子でも温子でも厚子でも、いくらでも漢字の名前があるではないか。
それすら思いつかなかったというなら、せめてひらがなにして欲しかった。
と、こんなことを思い出したのは、還暦をすぎてから。
子供の頃からずっと自分の名前がきらいだった。今から考えてみると、自分の名前がきらいだったのは、そんな親への反発だったのかもしれない。